NonStageTheater - 現代アートが生まれるまで

こんばんは、河合達人です。
私が大学で勉強している「現代音楽」の作曲、から考える
「現代アート」についてお話したいと思います。

みなさんは現代音楽を聞いた事があるでしょうか。
現代音楽においては「無調」の音楽がつくられることが多いです。
「無調」の曲に対し、我々が普通に耳にしている音楽
(クラシック音楽、ポップスなど)は、調性音楽と呼ばれています。
例えばギターでビートルズの曲を弾くと、
「この曲はキーが"E"」という様な言い方をします。
クラシックでも「ベートーヴェン交響曲第5番"ハ短調"」
などと言います。この「調(キー)」という概念は
音楽の中での対比を作る役目を担っています。
芸術においては何かを表現するために「対比」が必要になります。
なぜかというと、対比をすることによって「緊張感」が生まれ、
聴衆はそれにひきつけられるのです。
緊張をすると、「緩和したい」と思うのが人間で、
それを求めるから、その曲を「聞きたい」という気持ちが生まれるのです。



小学校の時、お辞儀の音楽(3つの和音)がありましたよね?
「チャーン(気をつけ)・チャーン(礼をする)・チャーン(戻して気をつけ)」
頭の中で想像してみてください。
1つめの和音が鳴り、2つめの和音が響いた後に…
3つめの和音がいつまでも鳴らなかったら!
3つめの和音を聞きたくてしょうがない衝動に
かられるでしょう。これが音で表される緊張と緩和です。
これが複雑に絡み合って音楽になります。

芸術作品にはその当時の生活スタイルが
作品に反映される場合が多いです。
例えばモーツァルト(18世紀)の音楽は、
その当時の人たちの生活サイクル;
朝は安心できる「家」で起き、
昼は「仕事場」に出かけて緊張をし、
夜また安心できる「家」に戻ってくる、
という家と仕事場の対比が曲で表されています。
有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
(セレナーデ第13番ト長調K.525第1楽章)を聞くと、
曲を大きく「A-B-A'」と分けられます。
(最初のAは繰り返しをするので、「A-A-B-A'」)
ネットで検索すればすぐ聞く事ができますから
聞いてみてください。Bの部分がどこだかわかりますか?
ちょっと暗い感じでどこへ行き着くか
わからないような部分がBの部分です。
曲全体としてはほんの少しです。
これが当時の「緊張」の部分です。



でも、今の我々は意識して聞かないと、
このB部が緊張の部分であるということが
わからないと思います。我々の耳は
モーツァルトの音楽を単なるBGMとして
聞けるようになってしまっているのです。

それはなぜかというと、時代が下ってくると
例えば皆が皆家のある生活をしているわけでも
なくなってくるので、A-B-Aのような単純な形式に
当てはまらなくなってきます。また、
慣れによって緊張して聞けていたものが、
だんだんと普通になってきてしまうのです。
そして、さらなる緊張を求めて作品を作り続けます。

ラヴェル(19世紀)のバレエ音楽「ボレロ」を
みなさんご存知かと思います。
「タン・タタタ/タン・タタタ/タン・タン、
 タン・タタタ/タン・タタタ/タタタタタタ」
というリズムに2パターンのメロディが
ずっと続いて行く音楽です。
それだけを15分間ずっと続ることによって、
緊張感が最後まで持続して行くという、
聴衆をじらして、じらして、じらし倒す音楽です。
18世紀の音楽とは一線を画しますね。



そして、20世紀に入りいよいよ「調性」を
脱ぎ捨て、無調の曲がつくられるようになります。
音楽において「調」の概念は、
それにのっとってつくられれば必ず美しい、
という信じられる「神」に等しいものでした。
19世紀末に発表されたニーチェの論文
『ツァラトストラはかく語りき』に出てくる
「神は死んだ」という有名な言葉があります。
この時代、音楽は「調性」で緊張感を生み出し
表現することに限界がきていました。
しかし調性は「神」ですから、率先してそれに
目を向けることはできませんでした。
そこに、ニーチェが先んじて発した「神は死んだ」
という言葉がその状況を払拭し、
新たな方向性に気づかせてくれます。
これは音楽に限らず、美術・文学など芸術全般に言える事で、
現代アートの発端と言っても過言ではないでしょう。



さて、やっと現代アートの話ができますね(笑)。
音楽では「調性音楽」から「無調音楽」へ。
美術では「写実的」なものから「抽象的」なものへ。
(例:ピカソの作品)
文学では、主人公が「名高いヒーロー」から、
「どこにでもいる普通の人」になったり
(例:フランツ・カフカ『変身』)などと、
神(常識・定石)とも言えるものを打ち壊し、
神の為ではなく、「何か」の為に表現・創作をする
必要が出て来たのです。

「何か」の為に。それは何なのか。
それは個人それぞれの思うところなのです。
皆が同じ何か(=神のようなもの)のために
創作をするという必要、必然性が
この現代にはなくなってしまいました



だから現代アートを評価するのはとても難しいし
それを創作するのはもっと難しいことです。
でも今も昔も変わっていない事は、
「目的」があって作品をつくる、ということです。
その「目的」を聴衆にあらかじめしっかりと知らしめ
それが効果的に作品の中で機能すれば
それは良い作品と言われるでしょう。

逆に言えば、目的を知らずにそれを聞いたり
見たりしてしまうと「意味が無い」ということになります。
ここが現代アートが一般に理解されないゆえんです。
「説明されないと分からないものは芸術じゃない、
一目見て直感で魂をゆさぶられるものが芸術だ」
なんて言っている人は、…。
これまで述べてきたような理由で往々にして
理解されない事をしなければならない我々は、
説明をする義務があると言えると思います



もちろんですが、モーツァルトの音楽が
「現代音楽」だった時代があったわけです。
モーツァルトがはじめてつかった「II度の和音」で
貴族婦人が失神したという話が有名です。
ちなみにどんな音かというと、
キーがCの曲で、Dmの音です。
現代では当たり前のように使う音、
全然ビックリもしない和音です。

でも当時は奇抜な音でした。説明をされなければ
なぜそんな音を使うのか分からない。
それを今は普通に聞けてしまっていますが、
それを普通だと思っていては、モーツァルトを
演奏することができません。
モーツァルトの目的をしっかり演奏しきると、
「良い演奏」と言われるのです。
それは現代アートにおいても同じ事で、
目的を演奏しきる、表現しきることが
いいパフォーマンスなのです



それではここで私の現代曲を紹介したいと思います。
タイトルは「窓に映る宇宙」です
8/6オープンキャンパス時の収録なので
高校生がウヨウヨ映っています(笑)
コチラ

この曲は日本画家 東山魁夷の「窓」という
絵を見て着想しました。その絵だけが妙に
立体的に見えたのが不思議で、音楽で「立体」を
表せないだろうかと思ったのがきっかけです。
音を言葉で表す時「明るい音」とか「丸い音」などと
視覚表現を使って表します。
それは人間が視覚の方が聴覚より優位なことを
あらわしている事柄で、音楽における「立体」とは
何なのかを考えてみたかったのです。
その為に「平面」と「立体」という対比を考え、
それを「和音」と「淡々と刻むリズム」で表しました。
「淡々と刻むリズム」が動き出す事で音楽が進行する
という構成になっています。

これまで拙い説明をしてきましたが、
現代アートについて理解していただけたでしょうか?
音楽を中心に話してしまいましたが、
我々がこの「現代」に演劇や創作するということの
意味を考える時、参考にしていただければと思いました。
お読みいただきましてありがとうございます。