NonStageTheater - 演奏=Play=演技

こんばんは、河合達人です。
10月に入り、新大美術科では西区DEアートに向けた
準備が大詰めになっております。

今回は「演技」について触れたいと思います。
これまでどちらかというと「創作」の側に焦点があたって
いたと思うので、それを「表現する」ことを
考えてみたいと思います。といいましても私は音楽が
専門ですので、演奏を例に話を進めたいと思います。

「上手い演奏」とは何なのでしょうか。
例えば一般的な小学生の合奏で「上手い」といえば、
演奏技術の上手さのことをさすでしょう。
ちゃんと音符を拾えている、間違えないで弾けている、
などといったものですね。ただ、
「ちゃんと弾けてても『音楽性』がないとつまらないよね」
などと言うことがありますね。ということは「上手さ」
には「技術的な上手さ」と「音楽性がある上手さ」の
2種類があるようです。
では、「音楽性」とは何なのか考えてみましょう



「音楽性は持って生まれた者だからどうにもならない」
なんて言う人もいますが、それは間違いです。
そんな感覚的なものではないのです。
音楽性があるかないかの判断は、今までこの雑記で
述べてきた事の繰り返しになるのですが
「その作品の目的を演奏しているか否か」です。

ではその「目的」はどこに書いてあるのか…。
答えはもちろん楽譜の中にあります。
楽譜とは作曲者が意図したことが
ちりばめられているものです。
例えば「フォルテ」、「クレッシェンド」の
記号一つにしても、何一つ無駄なものはなく
意味があってその場所に書いてあるものなのです。
(但し、クラシックの楽譜の場合です。
ポップスの楽譜は楽譜会社のアレンジですから
必ずしも作曲者の意図ではないです)



無駄が無いとは具体的にはどういうことか
というと、この楽譜を見てください。

(1)の楽譜の音形、見れば分かるように4回同じ事を
繰り返しながら段々と音が高くなっていっています。
これは、繰り返しているという点、
音高が高くなっていく点から
自然と強くなっていくフレーズです。

それに(2)のように「スラー」(つなげて演奏)が
かいてあったり、(3)のように「クレッシェンド」
(段々大きくする)もかいてあるとすればどうでしょうか。
もともと自然に大きくなるフレーズ(1)に、
あえてクレッシェンドを書くということは、
この部分がとても重要だという意味、またそこに何かしらの
音楽的な仕掛けがしてある可能性が大ということになります。

(1)の楽譜を、(2)の様にスラーが書いていないからと言って
例えば4つずつ区切って演奏したりはしないでしょう。
また(3)の様にクレッシェンドが書いていないからと言って
すべて同じ強さで演奏もしないでしょう。このように
楽譜にはもともと内在する意味があり、それを確かにする為に
記号をそこに記すのです。
その「内在する意味」を知らないで演奏してしまうと、
「音楽性がない」演奏になってしまうのです



ということは、技術ではない「音楽性」の部分は、
「内在する意味を知ればよい」ということです。
人間は「知っていてそれをやらない」という方が
難しいので知ればおのずとできるようになるでしょう。
そんなの知ってるよ!という人でも、
実際の音楽の中では、昨日の楽譜のように
単純なものではなく、色々なことが同時進行して
いますから、すべてに神経を注ぐ必要がある
ということになります。その神経を注ぐ場所が
分かり、その注ぎ方が上手いと
「音楽性のある上手さ」が表現できるのです。

このように演奏とは感覚的な世界ではなく
緻密に計算されているものなのです。
「アートとは」と言い換えて良いかもしれません。
最終的にそれを表現し、それを見たり聞いたりした人が
感覚的にとらえるのは、まぁ良いでしょう。しかし、
それに至らしめる為に表現者は感覚的になっては
いけない、ということです。